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午前7時を過ぎました。 おはようございます。

四国めぐり旅日記 (区切り歩き6回目)
(平成13年8月18日~8月28日)

「区切り6回目」からおよそ 23 年が経ちました。

 「四国八十八ケ所めぐり」~「四国ひとり歩き」を始めたのは平成9年(1997年)12月28日からです。 1番札所 「霊山寺」(徳島県鳴門市)からスタートして、区切って歩いているので、今回は6回目です。

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 今回は高知県窪川町の「37番岩本寺」から歩き始めました。 8月18日の夜は高知市の高知駅前のサウナに宿泊し、 翌朝列車で前回打ち止めにしていた中土佐町のJR土佐久礼駅まで列車で移動、そこから歩き始めました。 この日は窪川町の「民宿村の家」に泊まりました。

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 「くじらに会えるまち」のキャッチフレーズを掲げている高知県播多郡大方町。 台風接近のため、風雨が強かったので途中バスも利用しました。 この日は大方町上川口の海沿いの「民宿みやこ」に宿泊しました。

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高知県足摺岬にある「第38番金剛福寺」。 ここにいたるまでには道中の大半はバスで移動しました。 金剛福寺は弘仁13(西暦822)年、嵯峨天皇の勅願により弘法大師によって建立されたそうである。 この「金剛福寺」のすぐそばには番外霊場の「白皇(しらおう)神社」があります。
神仏分離以前は金剛福寺の奥の院になっていたが、明治初年の神仏分離令により「白皇神社」になったそうである。
昼食は「金剛福寺」の前の立派な鉄筋コンクリートづくりのレストラン兼土産物屋で食べました。
この日の宿は「白皇神社ユースホステル」に泊まりました。 最近はユースホステルを利用する人がめっきり減ったそうである。

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左の写真は「中浜万次郎(ジョン・万次郎)」の像です。万次郎は1827年土佐の中ノ浜に生まれました。 1841年1月、14才の時に5人で宇佐湾から漁に出かけ、嵐にあい漂流し、無人島(今の鳥島)に流されました。 143日間にもおよぶ無人島での生活を救ってくれたのはアメリカの捕鯨船でした。 5人は救助されたが、当時の日本は鎖国政策をとっていたため渡米せざるを得ませんでした。
万次郎は英語力を身につけ、帰国後、咸臨丸に通訳として乗船した。 ということだそうです。(足摺岬にて)

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 バックは太平洋と足摺岬の灯台です。 1914年に点灯されて以来、足摺岬沖の太平洋を航行する船の安全を守り続けているそうです。 灯台の光は沖合38kmまで届くそうです。 (足摺岬展望台にて)

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 「第39番延光寺」は「修行の道場」といわれる高知県内の16札所の最後のお寺です。 この日の宿泊は高知県宿毛市本町の「岡本旅館」でした。平成13年8月23日、高知県宿毛市「第39番延光寺」にて

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 高知県宿毛市から愛媛県一本松町に入りました。 高知県内をすべて歩けば408kmありますが、半分くらいしか歩いていないような気がします。 足にマメが出来て痛いけど何とか頑張って愛媛県までやってきました。

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 左の写真は高知県と愛媛県の県境の橋です。ここから愛媛県です。 伊予の国~菩薩の道場26札所、全行程約365kmの始まりです。 愛媛県に入って何時間か歩いた所で、道路から少し入った森の中の休憩場所かどこかに数珠を忘れたらしい。

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 左の写真は愛媛県北宇和郡三間町の第41番龍光寺です。
ところで、前日は宿泊した「民宿磯屋」のおかみさんに「途中で数珠を忘れたらしい」と話したら、 心当たりの場所まで車で数珠探しに送ってもらいました。 しかし肝心の数珠はとうとう見つからず、大変なご迷惑をかけてしまった。 ありがとうございました。

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 愛媛県北宇和郡三間町にある第42番佛木寺(ぶつもくじ)の近くにある民宿「とうべや」に泊まりました。
前日は足に豆が出来て痛くて歩けないので、早いけど3時頃に民宿に入り休憩しました。
「とうべや」のご主人には翌朝、おにぎりまで作って頂いた上に次の第43番明石寺(あけいしじ)まで送ってもらいました。 大変お世話になりました。

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 43番明石寺から44番大宝寺へ向かう途中に「十夜の橋」があります。 弘法大師(空海)が旅をしてこの地にやって来たが、どこも泊めてもらえずに橋の下に泊まらざるを得なかったが、 この橋の下はあまりの寒さに1夜を十夜のように感じられた故事により「十夜の橋」と名付けられたそうです。 以来、遍路人はその橋を渡る時は大師の心を思って杖をつかなくなったそうです。 道中誰からかそういう話を聞いてたが、今回は列車で移動してしまったので「十夜の橋」は歩いていません。 2周り目はその橋を歩いてみたい。

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 愛媛県上浮穴郡久万町にある
第44番札所大宝寺(だいほうじ)です。
弘法大師(空海)もその昔、ここで密教の修行をされたそうである。

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 次の第45番岩屋寺までの約10kmの大部分は昔の「へんろ道」を通りました。
立派な道路もあるが「へんろ道」を通ってみようと思い、山道を歩いて行ったら 45番の岩屋寺の裏山に着いたのは、もう日が暮れて暗くなった頃でした。
ラジオを聞きながら暗い山道を頑張って歩きました。

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 岩屋寺のすぐ下にある民宿かどた屋に泊まりました。 もう遅い時間だったけど途中歩きながら電話で予約しておいたので泊まることが出来ました。 たしか夜7時頃だったが、ある学生風の若者は岩屋寺の境内のベンチに野宿の許可をもらっていました。 お金を持たない学生などは野宿が多いようです。 かどた屋は川沿いの民宿なので川の流れの音がしてなかなか寝られなかったが、風流でした。

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 45番岩屋寺から、44番大宝寺のある久万町まで引き返して、次は松山市の方面に向かいます。 国道33号線の三坂峠ドライブインで昼食後、眼下の松山市を見おろしながら 「今回はもうこの辺でやめとこうかな」と思っていたら上だけは遍路姿をしていたお陰で 「次のお寺まで送ってあげますよ。」と声を掛けられてお接待を受けました。 やっぱり遍路姿をしていると得をします。

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 松山市内の60才台の人に46番浄瑠璃寺、47番八坂寺、48番西林寺、 49番浄土寺、50番繁多寺、51番石手寺と6ケ寺も案内されました。 お寺での作法も指導してもらいながら一緒に回ることが出来ました。 大変勉強になりました。
今回の四国めぐりの最後は「坊ちゃん泳ぐべからず」の道後温泉に入りました。 この日の宿泊は大阪までのフェリーの中でした。

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